父にしてあげたかったこと【マッサージの勉強を始めたキッカケ】

はじめに

今日は、父の誕生日。

生きていたら、64歳です。
55歳の時に、ガンで亡くなりました。

もともと口数が少ない父だったので「親子の会話は多い方ではなかったのかな?」と、個人的には思いますが、仲の良い親子だったと思います。

父のことを思い出すと、いまだに涙が出ます。

私がマッサージの勉強を始めた「キッカケの1つ」

マッサージの勉強を始めたキッカケはいろいろあるのですが、
キッカケの1つとして「父の死」というのも関係しています。

「父が生きている間に、もっと何かできたのではないか?」
という後悔が、私にはあります。
(念のため書いておくと「私があの時◯◯できていたら、父は死ななかったのではないか」という話ではなく、「あの時の私なりに、もう少しできることがあったのではないか」というニュアンスの話です)

私がいま学んでいるのは、医療行為ではないですし、
父の生前にマッサージの知識があったからといって
父がいま生きているとは限りません。

でも、もし、父の生前にマッサージの知識があったら。

病状が悪化して、寝たきりで足がパンパンにむくんだ父の足を「もっと優しく、気持ちよくもんであげることはできた」かもしれません。
(あの時の、むくんでゾウのようにパンパンで固くなった父の足が、今でも忘れられません)

もし、
私の周りの大切な人がつらいとき、疲れているときがあって、私に何かできるなら、癒してあげられる自分でいたい。

とはいえ、

今の私にとっては、
マッサージは「仕事の1つ」としての位置付けもあるので、有料でさせていただいています。

「私を必要としてくれる人を癒してあげたい」
という純粋な気持ちと、
「仕事なので、お金はいただきます」というリアル。

生活するために、お金は稼がないといけないので
その辺り、ちょっと矛盾するところは、正直、現状どうしようもありません。

ちなみに、
マッサージは、元々は「徳を積む行為」として無料でおこなわれていたそうです。

以前、マッサージのスクールの生徒さんとお話をしたことがあるのですが、『経済的にも、時間的にも、心身状態も含めて、自分に余裕があったら「無料でマッサージしたい」よね』と。

また、マッサージのスクールの学長さんが教えてくれたのですが、

タイ語で「タンブン」
=徳を積む、善行をする

という言葉があるそうです。

学長さんが、「タンブンフェスをやりたい」「その時は、ぜひ参加してよ!」とおっしゃっていたので、その時は私も参加しますので、ぜひあなたも施術を受けに来てください。

※タンブンフェス=施術代金は、受けての気持ちで金額を決める・・・とのことでした。

まぁ、自分でそういう日を作ってもいいかもしれませんね。マッサージに限ったことではなく。(1つの修行的な感じで🤔)

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