セラピストになろうと思ったキッカケ【その1】〜滝行修行からの気づき〜

動画でご覧になりたい方はこちら!(テキストでお読みになりたい方は、動画は飛ばして、以下、読み進めてください^^ 動画とテキストの内容は、ほぼ同じです)

いきなり話が変わるようで恐縮ですが、
この話をする上で切り離せないのが「滝行」修行のお話です。

私は2016年から武術を習っています。
居合がメインの流派なのですが、
ざっくり説明すると剣・杖・槍・弓・素手などの技もある「いろいろやる流派」です。

で、その武術の師匠が突然
「そろそろ滝行に行くぞ」と言い出したのが2019年の夏。
それから、コロナで緊急事態宣言の頃は、半年ほどお休み期間もありましたが、
2023年8月まで、「ほぼ毎月」と言っても過言ではないペースで
滝行をさせていただいています。

滝行は、勝手にやっているわけではなく、
「滝行」修行実施しているお寺さんで、
お坊さんのご指導のもと
やっています。

始めてやったのは、
神奈川にあるお寺さんで、2019年の夏。

そちらのお寺は、
11月〜4月は滝行を受け付けていらっしゃらないということもあり、
冬場は、別の東京のお寺さんに行っていました。

東京のお寺さんは、
滝行の他に「御百度参り」というのがありまして、

滝行は「自分のための願い」を。
御百度参りは「他人のための願い」を願いながら修行をします。

御百度参りでは、裸足でコンクリートの上を走り回ります。
その時々の参加人数や状況によって、
短い時は15分程度。
長い時(本来おこなう108回)で1時間半くらいやったこともありました。

冬は氷の上を歩いているようで足がかじかむし、
夏は鉄板の上を歩いているようでとてもツライです。

先ほど、「他人のための願い」を願いながら修行をします
と書きましたが、
正直、途中で雑念は湧いてくるんですよね。
コンクリートを裸足で走るので、途中で足は痛くなってくるし、
季節にもよりますが、「寒い・冷たい・暑い・熱い」
「つらい」という感情が湧いて出てくる中で、
「他人のための願い」を願うのはとても大変です。

それでも、他人のことを考える。
具体的には、
・クライアントの成功
・家族の健康
・友人のケガが早く治りますように
など。

日常で、こんなに真剣に「他人のこと『だけ』をただひたすらに考える」時間はあるだろうか?
と思うと、なかなかないので、
月1回訪れるこの時間は、私にとってとても有意義な時間だと感じていました。

2021年9月。いつものように、家族・仕事仲間・友人のことを考えて「御百度参り」をしていたとき、ふと頭に思いついた人がいました。

「仕事が忙しすぎるワーカーホリックのような人で、3〜4年くらいでポックリ死んでしまうのでは?」というT先生とIさん。

そんな2人を(私の勝手なエゴではありますが)、「どうにかして休ませたい」「どうにかして元気にしたい」と思いました。
どうしたらいいか?と考えた時に思いついたのが「マッサージの勉強をしよう」ということでした。

仕事仲間だったら、仕事を手伝って力になることができるし、家族や恋人なら何かしらの支え合いもできるし、友達なら一緒に遊んで息抜きに付き合うこともできる。

ただ、仕事仲間ではないし、一緒に遊ぶような友達とも違う。

月に1回お会いするかしないかという距離感。だけど、(万が一亡くなったら)お葬式は行きたいなと思う距離感・・・う〜ん、説明が難しいですね。

T先生とIさんが「わかりやすくワーカーホリックで死にそうだと思った」というだけで、他にも働きすぎな人や頑張りすぎな人は、私の身近にたくさんいた、というのはあると思います。

〜その2に続く〜

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